ずーっと観たかった[海を飛ぶ夢-THE SEA INSIDE-(※サイトはスペイン語)]を観て来ました!!!
いや~~、一言だと「号泣」ですよ!!!
ハンドタオルは絞れそうなくらいグッチョリでした・・・最初からずーっと泣いてたんだから当然だよな・・・(涙)
しかも、この話は実話をもとに作られた真実の話。その分、重みがありすぎて、嗚咽が止まらなくなっちゃうんだけどさ・・・。それでも、人間として生きているからには、いづれかは直面するかも知れないケースに、感情移入も半端ではありませんでした~~。
まずは、ココを御覧下さい。主演のハビエル・バルデムです。オフィシャルサイトや映画のポスターなどにある初老の男性・・・あれはこの彼が特種メイクによって作った姿!! 四肢麻痺という大きな役を、こんな屈強な若い男性が演じていたんだから恐れ入ります!!!
主人公のラモン・サンペドロは若い頃は船乗りとして世界を航海していた。世界各地を見て、逞しい身体で生気に満ちあふれていた。そんな彼が四肢麻痺になってしまったのは25歳の夏のこと。その後28年間もベッドに縛り付けられ、手足の自由も利かず、なにをするにも家族の世話になる日々を送っている。
いつも笑顔を絶やさず、ウィットに富んで、時にシニカルで、それでいて暖かい・・・そんなラモンを慕う友人も多かった。四肢麻痺でありながら、実際のラモンは女性にもよくもてていたらしい。
身体は不自由になっても、一見では幸せに見えるラモン。それでも彼の本当の望みは「死」だった。
自分は「生かされている」のであり、「生はもはや権利でなく義務となっている」―――四肢を動かせない彼にとって、自殺すら人の手を借りなくてはできないのだ。
だから、彼は司法に訴え、友人たちに手伝いを乞う。自分を本当に想ってくれる人は、自分を逝かせてくれるに違いないと信じていたからだ。
尊厳死協会のジェネから紹介されたのは、美人弁護士のフリア。彼女はなぜか無償でラモンの件を請け負った。
彼女自身、難病に身体を侵され、死の恐怖に震えていたからだ。ラモンと接し、ラモンの生と死の考えを理解することによって、自らの闇に立ち向かおうとしていたのかも知れない。
シングルマザーのロサは男運がなく、2人の子供を抱えて工場で働いていた。イヤなことばっかりの日常で、アマチュアのDJとしてラジオで話すことだけが埃だった。
そんな彼女はTVでラモンを知る。自ら命を断とうとする障害者に、自分ができる手助けをしたいと気持ちの赴くまま押し掛けてしまった。
けれど、彼女がしているのは偽善であり、誰かの世話をするという行為で自分の存在意義を見出したいというエゴ。ラモンに指摘されて、逃げるように去った彼女だけど、そのことが発端となってロサはラモンを心の拠り所とするようになった。
ラモンの訴えはそう簡単に通るものではなかった。
司法と宗教は別という姿勢はあるものの、法によって事実上の自殺を認めることは難しい。しまいには司教が「ラモンが死を考えるのは家族が彼を愛していないからだ」なんでTVで言う始末。
実際のラモンの家族は、彼の世話をすることを苦と思っていなかった。いや、もしかしたらある時期まではあったかも知れないけれど、誰も心からラモンがいなくなって欲しいなんて思ってはいなかった。
弟のために船を降りて農業をしている兄ホセ。
一日中、義弟の世話や家事をしている義姉マヌエラ。
利口ではないけど、反抗期もなく手伝いをする甥ハビ。
惚けてるんだか、置き物みたいな父ホアキン。
―――それぞれにラモンを愛しているから、彼の苦しみも知っているから、黙って彼の気持ちを汲み取ってやりたいと思っている。
愛する人と、もう2度と話せなくなるなんて、どうして望むことができるんだろう!!!
ラモンは誰も罪に問われない方法をずっと考えていた。
自分の死への旅立ちに必要なのは、誰かのあとほんの少しの勇気だけだった。
ロサやフリア、自分を慕ってくれる女性に助けを求め、その中で切ない恋もした。
思いが交差しては離れて行った。
フリアの病は段々身体が弱って行き、最後は脳を侵食する病。フリアは「同志」であったことを少しずつ忘れて行くのだ。
意識を集中し、ギュッと目を閉じる。
深く呼吸するとラモンの意識は空を飛び、青い海へと飛んで行く。自由に浜辺を歩き、逞しい身体で彼女を抱き締めることもできた・・・。
その時、流れていたトゥーランドットと美しいスペインの自然がとても綺麗で、なんとも切なくて、涙が溢れて来てしまうのです・・・!!!
あの夏の日にラモンは既に死んでいた。
四肢麻痺になった日から、ラモンたせと思っていたものは抜け殻に過ぎなかったんだな・・・。
この映画は看護する側、される側の両方の視線が描かれている。
「生きているだけで幸せだと思え」と、失った物の大きさに傷付いている者に言うのは本当にキツいことだと思ったよ。
障害に大小なんてないけど、生れつき動かない身体だったら、ラモンはもっと「生きよう」とどん欲になったかもしれない。
唇の動きだけて移動できる車椅子や、目線で文字が打てるワープロなんかも手にしていたかも知れない。
ただ、人って言うのは元々あるものを失った時のショックが本当に大きいんだよね。
ここで、ハビエル・バルデムを起用した理由が解る。
彼はガッシリしてて、太陽と潮の香りがよく臭う男だ。回想シーンで見る彼は輝いていて、その日々があまりにも身近だった。ラモンの中では、あの事件の日の方が現在よりもクリアーで、ベッドに横たわる今こそが死後の世界のようだったんだろうな。
ロサに「死んだ後で魂となってでも私の側に来て欲しい」と言われたラモンは、死後の世界は無だと言った。見て来たような口調だったけど、ラモンはこの28年間を「無」だと言ったのかも知れない。
四肢麻痺に関わらず、今後の人生で、自分も看護する側やされる側になる日があるんだと思う。
その時にラモンのように「死にたい」と思うのかは解らないけど、人間らしく生きることができないんだったら、我も同じ気持ちになるのかも知れない。
また、どんなに好きで愛している人が、自らの人生に希望を見出せず、死を望んだとしたら、自分は黙って見送ることができるだろうか・・・。
義姉のマヌエラはラモンを我が子のように世話をしていた。毎日毎日、大変なことが多かったろうに、死を選んだラモンを止めることはなかった。自分が28年もしていたコトを否定されるような気はしなかったんだろうか??
「してあげる」「してもらう」という行為を、もっと深いところで感じる気持ち。我にはそれが欠けているというか、まだないのかも知れない。
50:50やメリット&デメリットを考えているようじゃ、まだまだ人間として未熟なんだろうな・・・。
相手の身体が不自由ということで、もしかしたら自分は「優位」を感じてしまうのかも知れないな。ダメだなー、言葉では相手を尊重しつつ、心のうちでは思いが足りてないんだから。
マヂで自分の偽善っぷりも露呈してくれる映画ですわ~~。
「世話してるんだから、頑張って生きてくれ」ってコトじゃ、相手の位置にたった介護なんて無理だろうなぁ~~。
映画の最後、ラモンの「尊厳死」を最初から支援して来たジェネは結婚し、妊娠し、子供を産みました。
幸せそうに浜辺で父と遊ぶ子供を、静かに死に向かうフリアの横で見る彼女は一体なにを思っていたんだろうな。
生気に満ちた子供と、いま費えようとする命。陰と陽のようでいて、それは地球みたいに真ん丸にも思えたよ。
ともあれ、この映画は中高学校でも見せてあげて欲しいです。「麻痺って大変だな」って感想だけでもいいし、もっと深い部分を感じとってもいい。色んな人の思いを汲み取れる大人になるために、この映画はぜひぜひ見て欲しいと思います。
そして、この難しい役をこなしたハビエル・バルデムは素晴らしい。派手でなく、それでいて存在感のある演技。ベッドの上のラモンと若かりしラモンを演じ分ける技量は素晴らしいものです!! もっと彼の映画公開しないかなぁ~~。
ラモン・サンペドロは沢山の言葉、詩を残した。
口で銜えたペンで、丁寧に綴って行った。それは本となり、現在も彼の思考はこの世の中を漂っている。
彼はちゃんと無になれたんだろうか・・・。
日本語の公式ページはコチラ。
いや~~、一言だと「号泣」ですよ!!!
ハンドタオルは絞れそうなくらいグッチョリでした・・・最初からずーっと泣いてたんだから当然だよな・・・(涙)
しかも、この話は実話をもとに作られた真実の話。その分、重みがありすぎて、嗚咽が止まらなくなっちゃうんだけどさ・・・。それでも、人間として生きているからには、いづれかは直面するかも知れないケースに、感情移入も半端ではありませんでした~~。
まずは、ココを御覧下さい。主演のハビエル・バルデムです。オフィシャルサイトや映画のポスターなどにある初老の男性・・・あれはこの彼が特種メイクによって作った姿!! 四肢麻痺という大きな役を、こんな屈強な若い男性が演じていたんだから恐れ入ります!!!
主人公のラモン・サンペドロは若い頃は船乗りとして世界を航海していた。世界各地を見て、逞しい身体で生気に満ちあふれていた。そんな彼が四肢麻痺になってしまったのは25歳の夏のこと。その後28年間もベッドに縛り付けられ、手足の自由も利かず、なにをするにも家族の世話になる日々を送っている。
いつも笑顔を絶やさず、ウィットに富んで、時にシニカルで、それでいて暖かい・・・そんなラモンを慕う友人も多かった。四肢麻痺でありながら、実際のラモンは女性にもよくもてていたらしい。
身体は不自由になっても、一見では幸せに見えるラモン。それでも彼の本当の望みは「死」だった。
自分は「生かされている」のであり、「生はもはや権利でなく義務となっている」―――四肢を動かせない彼にとって、自殺すら人の手を借りなくてはできないのだ。
だから、彼は司法に訴え、友人たちに手伝いを乞う。自分を本当に想ってくれる人は、自分を逝かせてくれるに違いないと信じていたからだ。
尊厳死協会のジェネから紹介されたのは、美人弁護士のフリア。彼女はなぜか無償でラモンの件を請け負った。
彼女自身、難病に身体を侵され、死の恐怖に震えていたからだ。ラモンと接し、ラモンの生と死の考えを理解することによって、自らの闇に立ち向かおうとしていたのかも知れない。
シングルマザーのロサは男運がなく、2人の子供を抱えて工場で働いていた。イヤなことばっかりの日常で、アマチュアのDJとしてラジオで話すことだけが埃だった。
そんな彼女はTVでラモンを知る。自ら命を断とうとする障害者に、自分ができる手助けをしたいと気持ちの赴くまま押し掛けてしまった。
けれど、彼女がしているのは偽善であり、誰かの世話をするという行為で自分の存在意義を見出したいというエゴ。ラモンに指摘されて、逃げるように去った彼女だけど、そのことが発端となってロサはラモンを心の拠り所とするようになった。
ラモンの訴えはそう簡単に通るものではなかった。
司法と宗教は別という姿勢はあるものの、法によって事実上の自殺を認めることは難しい。しまいには司教が「ラモンが死を考えるのは家族が彼を愛していないからだ」なんでTVで言う始末。
実際のラモンの家族は、彼の世話をすることを苦と思っていなかった。いや、もしかしたらある時期まではあったかも知れないけれど、誰も心からラモンがいなくなって欲しいなんて思ってはいなかった。
弟のために船を降りて農業をしている兄ホセ。
一日中、義弟の世話や家事をしている義姉マヌエラ。
利口ではないけど、反抗期もなく手伝いをする甥ハビ。
惚けてるんだか、置き物みたいな父ホアキン。
―――それぞれにラモンを愛しているから、彼の苦しみも知っているから、黙って彼の気持ちを汲み取ってやりたいと思っている。
愛する人と、もう2度と話せなくなるなんて、どうして望むことができるんだろう!!!
ラモンは誰も罪に問われない方法をずっと考えていた。
自分の死への旅立ちに必要なのは、誰かのあとほんの少しの勇気だけだった。
ロサやフリア、自分を慕ってくれる女性に助けを求め、その中で切ない恋もした。
思いが交差しては離れて行った。
フリアの病は段々身体が弱って行き、最後は脳を侵食する病。フリアは「同志」であったことを少しずつ忘れて行くのだ。
意識を集中し、ギュッと目を閉じる。
深く呼吸するとラモンの意識は空を飛び、青い海へと飛んで行く。自由に浜辺を歩き、逞しい身体で彼女を抱き締めることもできた・・・。
その時、流れていたトゥーランドットと美しいスペインの自然がとても綺麗で、なんとも切なくて、涙が溢れて来てしまうのです・・・!!!
あの夏の日にラモンは既に死んでいた。
四肢麻痺になった日から、ラモンたせと思っていたものは抜け殻に過ぎなかったんだな・・・。
この映画は看護する側、される側の両方の視線が描かれている。
「生きているだけで幸せだと思え」と、失った物の大きさに傷付いている者に言うのは本当にキツいことだと思ったよ。
障害に大小なんてないけど、生れつき動かない身体だったら、ラモンはもっと「生きよう」とどん欲になったかもしれない。
唇の動きだけて移動できる車椅子や、目線で文字が打てるワープロなんかも手にしていたかも知れない。
ただ、人って言うのは元々あるものを失った時のショックが本当に大きいんだよね。
ここで、ハビエル・バルデムを起用した理由が解る。
彼はガッシリしてて、太陽と潮の香りがよく臭う男だ。回想シーンで見る彼は輝いていて、その日々があまりにも身近だった。ラモンの中では、あの事件の日の方が現在よりもクリアーで、ベッドに横たわる今こそが死後の世界のようだったんだろうな。
ロサに「死んだ後で魂となってでも私の側に来て欲しい」と言われたラモンは、死後の世界は無だと言った。見て来たような口調だったけど、ラモンはこの28年間を「無」だと言ったのかも知れない。
四肢麻痺に関わらず、今後の人生で、自分も看護する側やされる側になる日があるんだと思う。
その時にラモンのように「死にたい」と思うのかは解らないけど、人間らしく生きることができないんだったら、我も同じ気持ちになるのかも知れない。
また、どんなに好きで愛している人が、自らの人生に希望を見出せず、死を望んだとしたら、自分は黙って見送ることができるだろうか・・・。
義姉のマヌエラはラモンを我が子のように世話をしていた。毎日毎日、大変なことが多かったろうに、死を選んだラモンを止めることはなかった。自分が28年もしていたコトを否定されるような気はしなかったんだろうか??
「してあげる」「してもらう」という行為を、もっと深いところで感じる気持ち。我にはそれが欠けているというか、まだないのかも知れない。
50:50やメリット&デメリットを考えているようじゃ、まだまだ人間として未熟なんだろうな・・・。
相手の身体が不自由ということで、もしかしたら自分は「優位」を感じてしまうのかも知れないな。ダメだなー、言葉では相手を尊重しつつ、心のうちでは思いが足りてないんだから。
マヂで自分の偽善っぷりも露呈してくれる映画ですわ~~。
「世話してるんだから、頑張って生きてくれ」ってコトじゃ、相手の位置にたった介護なんて無理だろうなぁ~~。
映画の最後、ラモンの「尊厳死」を最初から支援して来たジェネは結婚し、妊娠し、子供を産みました。
幸せそうに浜辺で父と遊ぶ子供を、静かに死に向かうフリアの横で見る彼女は一体なにを思っていたんだろうな。
生気に満ちた子供と、いま費えようとする命。陰と陽のようでいて、それは地球みたいに真ん丸にも思えたよ。
ともあれ、この映画は中高学校でも見せてあげて欲しいです。「麻痺って大変だな」って感想だけでもいいし、もっと深い部分を感じとってもいい。色んな人の思いを汲み取れる大人になるために、この映画はぜひぜひ見て欲しいと思います。
そして、この難しい役をこなしたハビエル・バルデムは素晴らしい。派手でなく、それでいて存在感のある演技。ベッドの上のラモンと若かりしラモンを演じ分ける技量は素晴らしいものです!! もっと彼の映画公開しないかなぁ~~。
ラモン・サンペドロは沢山の言葉、詩を残した。
口で銜えたペンで、丁寧に綴って行った。それは本となり、現在も彼の思考はこの世の中を漂っている。
彼はちゃんと無になれたんだろうか・・・。
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